ぶちノート

数学とか物理とか好き。ゆっくりやっています。

分点について

線分を分ける

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線分を分けることについて考えてみよう。
線分を分けるというと、日常的な感覚から1つの線分を2つに分けることをイメージするだろう。
何か棒が1本あったときに、それを分けるというのは「2つにパキッと割る」という感じだ。
このことから数学的にも「線分を分ける」ということは「線分上に線分を2つに分ける点がある」と考えられれば自然だ。
(これは学校数学で「内分点」だと教えられる)
しかし別には「線分を(2つに)分ける点」をわざわざ「内」分点だなんてどうして言うのだろうか。
日常的な感覚からは「分点」とか「分割点」とかでよいのではないだろうか。

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もちろん線分を分ける点を「分点」とだけ呼ぶことも可能だ。
そのときは、無意識にその「分点」は線分上にのみ存在すると考えている。

でもここは数学的なところで、線分「上のみ」に「分点」があるというのは少し不自由な感じもしてくる。
別にその「分点」やらが、線分「上のみ」にある必要はないんじゃないか。
あるいは線分に対する「分点」はたまたま線分上にあることもあるが、それは一般的な「分点」に対しては、特殊な例である、ということもできる。

つまりどういうことかというと、線分上にない「分点」も考えてしまおうということだ。
線分には2つの端点がある。
線分をそれぞれの端点より先に延長すると、「分点」が存在できるのは、線分上のほかにその半直線2本上となる。

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このように考えると線分上の分点は、その線分に対する一般的な「分点」の特殊な例にすぎなくなる。
ここでは一般化が行われている。

さて、ではなぜ学校数学では「内分点」と「外分点」というような名前がつけられているのか。
実は特に理由はなくて、どちらをとるかは好みの問題になるのではないだろうか。

というのも、上記のように一般の「分点」を決めても線分上の分点と線分外の分点を区別することはできている。
しかし日常的な感覚では線分外の分点を「分点」というのは違和感がある。
そこでその違和感のある「分点」は「外分点」と呼ぼうということなのではないか。
そうすると線分外の分点は「外分点」と呼ぶのに線分上の分点は「分点」のままというのでは、不公平(非対称)ではないか。

というような予想をしてみたりする。
ただ「分点」を「外分点」と「内分点」に呼び分けたことで分かりづらくなったこともある。
いわゆる「内外分の公式」である。
結構ひとによっては、納得できなくて混乱することがある。
そういうときは、原点に立ち返って、線分内にあろうと線分外にあろうと全部「分点」と呼んでしまうこともアリだ。

これは「内分の公式」でこれは「外分の公式」だ、ではなくてただ1つの「分点の公式」としてしまうのだ。
具体的には線分を m:n に分ける点の座標は  \displaystyle \frac{na+mb}{m+n} であり、m は正の実数とするが n はすべての実数とするのである。

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書いてるうちに分からなくなった。